占いは統計学か?統計データと経験から得た法則の違い
これは明確に No と申し上げます。
何故なら、そんな統計データ見たことがないからです。
例えば四柱推命の組み合わせって何通りあるかご存知ですか?
25,920,000 通り
あるんですよ。つまり25,920,000通りだけ異なる人がいるんです。
でね、これだけの人を探し出して全部集めて、かつ統計学上有意とされるだけのサンプル数を確保し、そのサンプルに抽出した人達の生涯をつぶさに追いかけて記録するなんて芸当が、今みたいなスパコンや電子記録媒体がある時代だって困難なのに、昔々に出来たはずがありません。
今の時代だって、誰がやるんだ?のべ何人動員して作業するんだ?って話です。
つまり、そんな統計学を名乗るだけの統計データなんかありません、というのが答えです。
あるのは陰陽五行説になどに代表される理論から立てた仮説の検証です。
つまり、ある程度のパターンを見れば、25,920,000通りもかき集めなくても、理論から出したこの解釈の仕方が使えるかどうかの見当はつきます。
しかし、それって統計学ですか?
機会があれば統計学の専門家の方にお聞きしたいものです。
占いに根拠はあるのか?エビデンスや裏付けと効果の関係
先に答えを言ってしまうと、
学問的な理論の体系がある占術には根拠がある
と言えます。
しかしながら仮説や観察を繰り返して検証を積み重ねてきただけの占術に根拠はあるのか?と言われると、根拠の基盤に脆弱さがあるのは否定しません。
例えばタロットカードで有名なコレ。
見た目におどろおどろしいですし、カードの名前も「死神」です。何だかとんでもなく悪いカードの様ですが、実はそうとばかりも言えないのです。
このあたり、占いたいテーマの内容や状況でカードの解釈が変わってしまいます。そこに占者のセンスや主観要素があります。このカードなら、
これまでのことはリセットして、再出発の希望が持てます
たいていはその基本の解釈の仕方を土台に、依頼者からの占的(せんてき:占いたいテーマのこと)に当てはめて解釈する訳です。
で、結局は当たったか外れたかの話になる訳ですが、当てもの要素がある時点で、根拠があるのか?と言われると脆弱です。
しかしこう考えるとどうでしょう?例えば食べ合わせ。根拠が無いと一蹴するのは簡単ですがが、先人達の経験から得た考えの積み重ねと考えたらあながちバカにしたものでもありません。
更に言えば、新薬開発も結局は治験の結果得られたボリュームゾーンや中間値の結果を見て効果があるや無しやを判断している訳で、「絶対皆治る」薬というのは聞いたことがありません。
例えば抗がん剤なども、
生存期間中央値が1ヶ月伸びた
奏功率が有意に向上した
という「エビデンス」はあるらしいですが、奏功率というのは「治る」という意味では無いそうですから、んじゃ根拠だのエビデンスだのってなぁに?と言われると、卜占の「当たった人もいる」と大して変わらん気もします。
治験 = 占いの実例から得た経験則
と考えたら、卜占にも根拠はあるということになります。
で、占い師が占術の悪口言ってるみたいに取られたくはないですが、相占や式占になると心理的側面が強く、効果保証がある訳でもないので、占いの持つ娯楽性、趣味性の部分を理解した上でどうぞ、というのが私の考えです。
まぁ、新しい抗がん剤は生存期間中央値が1ヶ月延びたという「エビデンス」があっても、実際に投与された人の生存期間がすべからく1ヶ月延びることを保証するものでは無いそうですから、風水で玄関に赤い花を飾ったら、奇門遁甲でこの日この方位に行ったら…どうなるかの保証などないことだけ取り上げて、
占いなんか根拠が無い!
というのも見方としての公平性には欠けると思います。
霊占(霊術)って何だ?
占いの分類で命、卜、相、式占があります。
最近何やら霊占(霊術)という分類を目にします。いわゆる霊視霊感を指しているようですが、果たして霊視霊感は占いなのでしょうか?
最初に私の立ち位置は明確にしておきます。私は霊視や霊感については肯定派です。実際に、へぇ!と思う事例にも触れてきたからです。
しかし…霊占という分類には否定的です。その理由は前回の記事にも記した、
・理論の体系や概括的な枠組み、学問的な側面がある
・したがって入門書が存在していて、それを読めば最低限のことは分かるし、誰でも簡単なテーマの結果は出せる
これが占術の共通土台だからです。
四柱推命入門、タロット入門、手相入門…という本はありますし、それを読めば誰でも簡単なベーシックなものは分かるようになっているのが占術です。
しかし、霊視入門なんて本は聞いたことがありませんし、それを読めば誰でも簡単でベーシックな霊視が出来る訳でもありません。
したがって霊視霊感は占いとは全く別のジャンルだというのが私の見解です。
このテーマに関しては、いずれ別稿で取り上げる予定です。
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